三原城 (みはらじょう) (本郷城)
最寄地 福岡県三井郡大刀洗町大字本郷4542 2020.9.20 2021.4.12
三原城 (みはらじょう) (本郷城)
最寄地 福岡県三井郡大刀洗町大字本郷4542 2020.9.20 2021.4.12
登城ルート
説明板・城跡碑
説明板
外堀・西側入口
主郭 北側の堀・民家へ続く土橋
主郭
東側の堀・住宅
三原城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 大刀洗町大字本郷にある平城で、東西約110m南北約150mの広さがあり、外堀、内堀で囲まれている。城跡は放置され鬱蒼とした薮となっている。
西側以外の3方は住宅で囲まれているが、南東の空き地から堀が確認できた。
2回目の訪問で西側の堀の外を歩いていると、土橋があり誘われるように踏み込むと、主郭は開けており北側の城址碑のある民家との間に堀が横たわっており、土橋で結ばれていた。西側には内堀があり、2重の防御になっている。
【案内】 北側の表記番地前に城跡碑と説明板が建てられている[マップコード166 780 030*67]。
城跡は約100m南で、周囲には住宅が建っており、直接行けなかったが、南東の空き地から空堀を見ることができた[マップコード166 750 722*64](地図)。
【歴史】 築城年代は定かではない。 城主三原氏の始祖は三原弾正時勝と伝えられる。
鎌倉時代初期の高祖山城主・原田種直の子・種朝が三原氏を継ぎ13代当主となった。
南北朝時代、護良(もりよし)親王の命を受け、九州探題を攻め、あるいは延元元年(1336年)多々良浜に足利尊氏の軍勢を迎え撃つなど、南朝方に尽力したが、後年には北朝方となり、正平十四年(1359年)筑後川の戦い(大原合戦)では少弐氏方に名を連ねた。
天正の頃、島津氏が侵攻し、天正十四年(1586年)三原紹心は高橋紹運とともに岩屋城へ籠城、島津勢と戦ったが、紹心は討死し、三原城は役目を終えた。