岩尾城 (いわおじょう) (和田城) (県の史跡)
最寄地 兵庫県丹波市山南町和田48 2018.8.8
岩尾城 (いわおじょう) (和田城) (県の史跡)
最寄地 兵庫県丹波市山南町和田48 2018.8.8
登城ルート
登り口
稲荷神社
南曲輪
下知殿丸曲輪
西の丸下段郭の石垣
西の丸石垣
本丸東側石垣
岩尾城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高260m】
【感想】 丹波市山南町和田の標高358mの蛇山に築かれている。本丸や天守台、西の曲輪などの石垣がよく残されている。南の尾根には堀切、2つの曲輪が残っている。
【案内】 親縁寺の西に位置する表記番地の東側より北へ遊歩道がある[マップコード゙347 027 685*75](地図)。その右横の空き地に駐車した。
竹林を進むと獣除けフエンス扉があり開け閉めして、左の階段を上ると稲荷神社がある。神社右より登ってゆき、達磨岩左を登ってゆくと、右から登って来る遊歩道と合流する。
視界が開けた尾根を北に延々と登ってゆく。約30分で南曲輪に着き、下知殿丸曲輪を過ぎると、急な登りとなり堀切があり、左へ登ると井戸跡がある。
40分程登ると左側に石垣が現れ、その先に西の丸があり高石垣が残っている。虎口付近は崩れているが、本丸石垣や天守台石垣がよく残っている。
【歴史】 永正十三年(1516年)和田斉頼によって築かれたと云われる。 和田氏は文明三年(1471年)信濃国南和田より井原荘の地頭として入部した谷幹綱が始まりとされる。斉頼は和田日向守と名乗り、近隣を侵略して井原荘を和田荘と改名したという。
天文十三年(1544年)斉頼が病没し、子の師李が城主となった。
天正七年(1579年)織田信長の命により丹波へ侵攻した明智光秀に攻められ落城した。
天正十四年(1586年)近江国木戸より佐野栄有が3750石で入封すると、岩尾城を総石垣の近世城郭へと改修した。
文禄四年(1595年)佐野栄有は近江国木戸へと移り、その後は亀山城主前田玄以の属城となったが、慶長二年(1597年)豊臣秀吉の命で廃城となった。