山鹿城 (やまがじょう) (湯町城・湯浦古城・上市城・清滝城)
所在地 熊本県山鹿市山鹿55 2014.5.9
山鹿城 (やまがじょう) (湯町城・湯浦古城・上市城・清滝城)
所在地 熊本県山鹿市山鹿55 2014.5.9
清滝神社
清滝神社内・城址碑
説明板
墓地石垣
空堀
山鹿城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 城跡には円頓寺(表記番地)、清滝神社、光専寺があり、民家が建ち、一部飲食街となっている。
円頓寺南の飲食街の路地を入った清滝神社境内に「山鹿城趾」碑と由来説明看板が建てられており椋の大木がある[マップコード175 338 060*64]。
南の急崖の下に大きな空堀・土塁があり西の墓地横に石垣が残る。
【歴史】 菊地家の祖・菊地則隆の次男西郷太郎政隆より出た山鹿氏代々の居城であった。
上市の高台一帯を占め、南は清滝口、西は像成寺口、東は菊池口と三カ所の口があり清滝神社の辺りが本丸と云われている。
築城時期は不明だが、正平六年(1351年)に懐良(かねなが)親王と敵対していた記録があり、南北朝時代には北朝に属していた。
天正十二年(1584年)に島津氏に降伏したが、進駐の際に小ぜり合いが生じている。
天正十五年(1587年)城主・山鹿彦次郎重安の時、伯父の菊池城主・隈部親永が所領検地のことで国主・佐々(さっさ)成政に一揆を起し、肥後国人(国衆)一揆に発展した。
山鹿重安は息子の隈部親安と城村城に篭城した。成政の軍とは互角に戦ったが、その後豊臣秀吉の大軍に敗れ、天正十六年(1588年)五月、秀吉の命により小倉に於いて切腹させられ、廃城となった。