南郷城 (なんごうじょう)
最寄地 宮崎県日南市南郷町中村甲4811−1 2018.12.15
南郷城 (なんごうじょう)
最寄地 宮崎県日南市南郷町中村甲4811−1 2018.12.15
登城ルート(緑線は車道)
中村神社・入口碑
KDDI基地局・左側が2郭
主郭・壇
南西の腰郭
南面の石垣
城跡からの眺望・細田川・大島方面
南郷城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高120m】
【感想】 細田川と南郷川に突き出た半島状の標高122.4mの山頂に築かれている。頂上に100m四方ほどの主郭があり北に2郭、南西に腰郭がある。
石垣や石塁が周辺に点在して残っている。城跡からは東方眼下に細田川や大堂津の砂洲、遠く大島の絶景が眺望できる。
明治になり払い下げとなり、数十名の所有者が居られたが、農地としては不便で手放され、現在一人となられた所有者が野菜を作っておられた。公園として開放されているが、維持管理の苦労話を聞かせて頂いた(ご苦労様です)。
【案内】 中村神社に「南郷城入口」の石碑が建てられている[マップコード274 164 278*31](地図)
そこより約1kmの舗装道が城跡まで通じている[マップコード274 164 656*68]。
城跡の西にKDDIの無線基地局が建てられ、北側が2郭で、右に曲がって登った主郭に駐車できる。
西側に虎口があり、石垣がよく残っている。主郭は100m四方ほどの広さがあり、畑や公園となっている。
南側に石垣の壇があるが、所有者の方が居られ、聞いてみると当時の物ではなく近年のものだそうだ。
南西側に腰郭があり南側にも虎口が開き、周辺に石垣が残っている。他によく見ると、草の間に石垣が埋もれ、殆ど一周に亘っている。
【歴史】 慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いで、伊東祐慶(すけのり)は東軍として、清武城主稲津重政に命じて西軍の縣城主高橋元種の支城・宮崎城を攻め落とさせた。
しかし、高橋元種は東軍に寝返って徳川家康に本領を安堵され、宮崎城は高橋氏に返還され、稲津重政は粛正された。
慶長六年(1601年)西軍であった島津氏に対する備えとして飫肥城2代伊東祐慶によって築かれたと云われる。
しかし、元和元年(1615年)一国一城令によって廃城となった。