安宅勝山城 (あたぎかつやまじょう)
所在地 和歌山県西牟婁郡白浜町塩野/安宅 2022.4.7
安宅勝山城 (あたぎかつやまじょう)
所在地 和歌山県西牟婁郡白浜町塩野/安宅 2022.4.7
登城ルート
登り口・道標
南側堀切2
曲輪2
曲輪1
東尾根1、2条目の堀切
東尾根 5条目の堀切
安宅勝山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高200m】
【感想】 日置川左岸河口近くの標高212.7mの山頂に築かれている。
土塁を巡らせた2つの主要郭から構成され、三方の尾根に堀切を配置してある。西尾根は浅いが、南尾根の長大な竪堀を伸ばした3重堀切は見応えがある。
殊に東尾根に残る石積みや岩盤を掘削した5重堀切は圧巻だ。尾根先から古武之森城へ行ける。
【案内】 日置川堤防道路のごみ置き場横に駐車した[マップコード457 250 162*55]。
東に100mほど行った日生神社入り口に説明板が建てられている。その先の民家前を南に行くと登り口があり、大きな標識が建てられている(地図)。
梅林の集荷用レールに沿って登る。ピンクのマーキングが数多くあり迷うことはない。梅林を抜けた中腹からははっきりした山道があり、標識のある尾根手前を左に行くと最初の堀切に着く。
南尾根には竪堀を左右に伸ばした三重堀切があり、その上段に土塁付きの帯郭がある。
更にその上に土塁の残る2郭があり、最高所に擂鉢状の主郭がある。
西に下ると1条の浅い堀切がある。戻って、主郭北東の三角点から降りると、石積みのある5重堀切が残っている。
【歴史】 安宅本城を本拠とした安宅氏によって周辺の八幡山城、土井城などと共に築かれたといわれる。
大永六年(1526年)12代安宅実俊が死去し、実俊の子安定丸が幼かったため、実俊の弟定俊が家督を継いだ。
享禄三年(1530年)、定俊は16歳になった安定丸に家督を譲らず、争いが起き一族が戦った。援軍を得た安定丸に攻められ、勝山城を焼かれた定俊は八幡山城に拠ったが、安定丸の追討に遭い、ついに定俊以下家臣は自害した。この内訌により主だった家臣を失い、安宅氏は衰退した。