安宅本城 (あたぎほんじょう)
所在地 和歌山県西牟婁郡白浜町安宅106 2022.4.7
安宅本城 (あたぎほんじょう)
所在地 和歌山県西牟婁郡白浜町安宅106 2022.4.7
奥の民家敷地
石垣
民家東側の様子
安宅本城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 水田の中の石垣で小高くなった民家敷地となっている。
【案内】 県道37号線より「安宅橋」を渡った日置川の東岸道路に標識があり、その東の民家敷地(表記番地)となっている[マップコード457 280 119*17]。
【歴史】 安宅氏は、小笠原長清を祖とし、熊野水軍を率いた豪族で阿波、淡路、河内などの各地に勢力を持っていた。
南北朝時代、安宅氏の一族が淡路より移り安宅本城を築いて本拠とした。
大永六年(1526年)九月12代安宅実俊が死去し、実俊の子安定丸が幼かったため、実俊の弟定俊が家督を継いだ。
享禄三年(1530年)、定俊は16歳になった安定に家督を譲らず、争いが起き一族が戦った。安定丸は当初定俊方に追われたが、日高、切目、田辺などの諸氏の援軍を得て攻め上った。
安定丸は勝山城を焼き討ち、八幡山城に窮地に追われた次郎太夫定俊は奥方と子の安春丸を刺し、自害した。