三刀屋城 (みとやじょう) (尾崎城・天神丸城) (尼子十旗)(県の史跡)
最寄地 島根県雲南市三刀屋町古城1172-1 2016.5.19
三刀屋城 (みとやじょう) (尾崎城・天神丸城) (尼子十旗)(県の史跡)
最寄地 島根県雲南市三刀屋町古城1172-1 2016.5.19
登城ルート(緑線は車道)
伝馬場跡・案内図
二の丸跡・稲荷神社
本丸下石垣
本丸跡・物見櫓台
石垣
三刀屋城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m】
【案内・感想】 国道54号線より県道271号線「三刀屋橋」を渡ってすぐ左折、800mほど登ると駐車場に着く[マップコード134 134 716*38] 。
途中、案内図のある「伝馬場跡」があり、奥に慰霊塔が建てられている。その上に「伝馬舎跡」があり四阿が建てられている。さらに上段に、駐車場となっている曲輪跡がある。舗道を登ってゆくと、左側の本丸下斜面に石垣が残っている。
本丸の東端に「物見櫓台」が残り放送塔が建てられている。西に土塁・石塁が残り、石垣が見られる。その西に少し低くなって二の丸跡があり、稲荷神社が建てられている。
櫓台の下に、城主の後裔三刀屋澄子氏の顕彰碑が建てられている。昭和六十一年(1986年)、島根県の史跡に指定された。
【歴史】 三刀屋城は、山陰と山陽とを結ぶ街道沿いに位置する交通上の要衝で、尼子方の拠点として尼子十旗の一つに数えられた。
『雲陽軍実記』には「惣じて尼子旗下にて禄の第一は白鹿、第二は三沢、第三は三刀屋、第四は赤穴、第五は牛尾、 第六は高瀬、第七は神西、第八は熊野、第九は真木、第十は大西なり、これを出雲一国の十旗と云ふ」と記されている。
三刀屋城の歴史は古く、承久三年(1221年)に三刀屋郷の地頭職に任じられた諏訪部扶長(すけなが)が築城したと伝わる。その後、扶長の末裔が三刀屋氏を称した。
天文十一年(1542年)三刀屋久扶(ひさすけ)の時、大内氏に降った。翌年、尼子方に復帰した。永禄五年(1562年)三刀屋久扶は、毛利氏に降った。
天正十六年(1588年)毛利輝元によりに三刀屋久扶が領地を没収された。
慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いにより、毛利氏が周防・長門二ヶ国に減封されると、替って封じられた堀尾氏が入城した。
堀尾氏は当初、三刀屋城を改修しようと考えていたが、一国一城令により廃城となり、松江城へ移ったとされる。当時改修中の石垣が今でも現存しており、その大きさから、堀尾氏が松江城ではなく、三刀屋城を本拠にしようとしていたという説がある。