横川城 (よこかわじょう) (長尾城) (市の史跡)
所在地 鹿児島県霧島市横川町中ノ524 2018.12.13
横川城 (よこかわじょう) (長尾城) (市の史跡)
所在地 鹿児島県霧島市横川町中ノ524 2018.12.13
登城ルート
登り口・標柱
2郭切岸・空堀
主郭の階段
主郭・土塁
説明板
南西の堀切
横川城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 霧島市横川町中ノの標高246mの丘陵に築かれ、2つの郭から構成されている。2郭は鬱蒼としているが、主郭は整備され、土塁や西側に深い空堀がよく残っている。
【案内】 九州自動車道「横川IC」より県道55線を右折、少し行った「横川向江町」交差点を左折、横川中学校(表記番地)を過ぎて西に400mほど行くと、左側に城跡入口の標識があり、その脇に駐車スペースがある[マップコード376 218 578*47](地図)。
登り口から遊歩道が設けられ階段を登ると城跡で、3分位で城跡に到達できる。
遊歩道東側に2郭があり、主郭には土塁が残り、土塁上には供養碑が建てられ、平坦面に四阿、説明板が建てられている。
主郭の西と東には大きな空堀がある。本丸の周囲にも空堀を隔てて曲輪が残っている。
昭和三十七年(1962年)2月1日、霧島市の史跡に指定されている。
【歴史】 承久の頃(1220年頃)大隅国守護・横川藤内兵衛尉時信がこの地方の領主として築城した。初代時信より6代河内守種氏まで居城とした。
種氏以後、永禄の頃には真幸院(まさきいん)領主・北原伊勢介の領地となった。
永禄五年(1562年)北原氏に内乱があって、その一族の多くが島津氏に付いたが、北原伊勢介と子・新助は飫肥の伊籐氏に付いて横川城に立て籠もった。
15代藩主島津貴久は溝辺まで兵を進め、家臣の伊集院大和守忠朗・樺山安芸守幸久に命じて、降伏を薦めたが、伊勢介は聞き入れなかった。
6月3日、島津義弘・歳久兄弟は横川城を攻め、遂に北原父子は自刃し落城した。
落城後、貴久は菱刈大和守重猛に城を与え、重猛は一族の菱刈中務に城を守らせた。
永禄十年(1567年)重猛の弟・隆秋の謀叛に加わり、菱刈の馬越城落城と同時に菱刈中務は横川城を棄てて大口へ退いた。『霧島市教育委員会説明板』より。