虎御前山城 (とらごぜやまじょう)
最寄地 滋賀県長浜市中野町352 2016.10.25
虎御前山城 (とらごぜやまじょう)
最寄地 滋賀県長浜市中野町352 2016.10.25
登城ルート
矢合神社参道・案内板・入口
堀切
堀秀政陣地跡
織田信長陣地大曲輪
木下秀吉陣地跡
虎御前山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【感想】 小谷城を指呼の内に望む丘陵にあり、丘陵の各地に家臣の陣所を配置した信長の権勢が窺える。土塁、堀切や郭がよく残っている。
【案内】 表記番地の東に入口[マップコード460 031 233*24]があり、600mほど登ると展望台の先に駐車場(地図)がある。山頂に向けてハイキングコースが設けられている。展望台の手前に「蜂屋頼隆陣地跡」がある。車止めより北に600mほど行くと、NTT鉄塔がある。
その先に古墳群があり、「堀秀政陣地跡」がある。さらに行くと二段になった大曲輪があり標高224mの最高所に「織田信長陣地跡」がある。
北に少し下って「木下秀吉陣地跡」があり、土塁、空堀、大曲輪が残っている。樹木ではっきり見えないが、北東2kmの山頂に小谷城跡がある。
【歴史】 元亀元年(1570年)、姉川の合戦で浅井・朝倉連合軍を破った信長は、奪取した横山城を拠点として浅井長政の居城小谷城の包囲網を敷いた。
織田信長は、元亀3年(1572年)小谷城の南西の虎御前山に築城し、小谷城包囲網を更に縮め、翌天正元年(1573年)には信長の本陣もこの城に移し、八月八日小谷城総攻めが開始された。八月二十八日長政が自刃し、落城するまでの間、最前線の砦として利用された。