菊池城 (きくちじょう) (守山城・隈府城)(わいふじょう)
所在地 熊本県菊池市隈府1257 2013.5.31 2015.5.11 2019.12.9
菊池城 (きくちじょう) (守山城・隈府城)(わいふじょう)
所在地 熊本県菊池市隈府1257 2013.5.31 2015.5.11 2019.12.9
登城ルート
菊池神社・菊池大明神鳥居
菊池神社
菊池本城本丸跡の碑(右)
北側横堀
南東郭の平和の塔
菊池本城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道387号線の菊池神社南側の路肩が広く駐車できる[マップコード175 263 008*54]。
北に「菊池神社歴史館」(表記番地)が建てられた菊池神社一帯が菊池城本丸で、歴史館へ登る階段先に「菊池本城本丸跡」の石碑が建てられている。遺構としては神社の北側に横堀が残る。
道路の南の城山、現在「平和の塔」「荒木精之文学碑」が建てられている一帯も菊池城の郭である
明治維新後、勤王菊池氏を顕彰して隈府城北西部に菊池神社が建てられた。菊池神社境内、生目大明神の北に第二次世界大戦で特殊潜航艇艇長としてシドニー湾に突入して戦死した松尾敬宇中佐の胸像や十二代菊池武時騎馬像がある。
菊地十八外城として、北方に葛原城、鷹取城(染土城)、五社尾城、懸幕城、東方に元居城(茂藤里城)、市成城、黄金塚城、城林城(止林城・木庭城)、南方に戸崎城、菊城(菊池古城)、古池城(出田城)、亀尾城(板井古城)、打越城、西方に馬渡城、正光寺城、増永城、台城(水島城)、神尾城があった。
【歴史】 菊池十八外城と呼ばれる城砦の本城で、正平年間(1346~70年)に菊池武政により築城された。
菊池氏は九州における南朝方の有力者で、後に肥後国守護に任じられ、現菊池市は城下町として栄えた。
戦国時代に入ると菊池氏は内紛を繰り返して衰退し、家督を阿蘇氏や大友氏に奪われ菊池氏正統は没落した。
後、菊池氏の一族で菊池三家老の赤星親家が城主となるが、同じ菊池三家老の隈部親永に圧迫され、天正六年(1578年)親家の子赤星統家の時、龍造寺氏と結んだ隈部親永によって赤星氏は菊池城を追われた。
天正八年(1580年)隈部親永が入城し、北上する島津氏と対峙したが、隈部氏は籠城して凌ぎ、島津氏と和睦し所領を安堵された。
天正十五年(1587年)羽柴秀吉の九州平定後、功のあった佐々成政が肥後一国のを与えられ親永は配下となるが、同年、親永が菊池城(以後隈府城と呼ばれる)に拠って成政に反抗し、一揆に発展した。
反乱が鎮圧され、親永は城村城に逃げたが、天正十六年(1588年)秀吉に切腹させられ、隈府城は廃城となった。