野田城 (のだじょう)
所在地 大阪府大阪市福島区玉川4丁目3−7 2019.12.15
野田城 (のだじょう)
所在地 大阪府大阪市福島区玉川4丁目3−7 2019.12.15
一方通行の交差点
交差点の城跡碑1
極楽寺・城跡碑2
野田城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 千日前線「玉川」駅東の石碑1から極楽寺付近の住宅地が中心部とされ、野田恵美須神社が城郭の東側とされるが、住宅地となり遺構は消滅している。
【案内】 大阪メトロ千日前線「玉川」駅東の一歩通行路に入る交差点角に城跡碑1が建てられている[マップコード 1 372 315*06](地図)。
その一方通行路を東へ約200m行き、右に約100m行った角地に「極楽寺」(表記番地)があり、南側山門横に城跡碑2が建てられている[マップコード1 372 202*54](地図)。
【歴史】 享禄四年(1531年)、細川高国と三好元長が抗争していた時(中嶋の戦い)、細川高国と同盟関係にあった浦上村宗がこの地と福島の地に陣取って築城したとされる。
元亀元年(1570年)、畿内での勢力回復を図る三好三人衆は、野田城・福島城を増築、籠城した。
それに呼応した石山本願寺法主顕如が織田信長打倒の武装決起をした。当時の野田城には8千人の兵を収容できる広い城地と考えられる。
天正四年(1576年)、織田信長の猛攻により野田城は落城後福島城と共に織田方の手に渡り第一次木津川口の戦い、第二次木津川口の戦いでは重要陣地となったと云われる。