虎丸城 (とらまるじょう)
最寄地 香川県東かがわ市水主786 2017.12.11
虎丸城 (とらまるじょう)
最寄地 香川県東かがわ市水主786 2017.12.11
休憩所内の説明板
登城ルート
登り口の橋
三角点手前の堀切
主郭.・櫓台
主郭西側の休憩所
西側堀切
虎丸城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高350m】
【感想】 東かがわ市の標高417mの虎丸山にあり、北西の県道から見ると比高が高く、北側がなだらかな山容を見せている。
約30m四方の主郭に櫓台、土塁があり、南と西の尾根に堀切がよく残っている。
【案内】 県道130号線と県道129号線の交差点の東80m地点を右折し、川を越えてすぐ右折道なりに行くと「新宮石風呂跡」があり、その南の表記番地先に無線塔があり、案内標識が建てられている。
道は狭く150mほど南の左側に1台分の駐車スペースがある[マップコード 160 802 526*25](地図)。
そこより橋を渡り、砂防ダムを右手に見て、しばらくなだらかな林道を進み、沢を渡って沢に沿って登る。沢から尾根に出て尾根を登ってゆくと、三角点の標識のある北の山頂に着く。南へ尾根を行き、急な登りとなり虎丸城に着く(約1.5㎞40分)。
主郭は東側の土塁に速玉大社が祀られ、西側に休憩所があり説明板が掲示されている。
西側に下ると、深い堀切があり、西の郭へ続いている。西端に浅い堀切がある。
また主郭より南に下ると堀切が残っている。北東より下ると畝状竪堀があるがあまりはっきりしない。
【歴史】 築城年は不明であるが、寅年に築城されたためこの名を付けたとの説がある。
元亀元年(1570年)寒川元政の代に安富盛定に奪われた。
天正十年(1582年)八月、中富川の戦いで長宗我部元親に敗れた十河存保は虎丸城に逃れた。
天正十二年(1584年)六月には十河城が落とされた際、一説によれば、虎丸城も陥落し、存保は大坂の羽柴秀吉(豊臣秀吉)を頼って落ち延びたというが、別の説では存保は虎丸城に拠って抗戦を続けたという。