高仙山城 (こうぜやまじょう) (市の史跡)
最寄地 愛媛県今治市菊間町種2555 2018.3.6
高仙山城 (こうぜやまじょう) (市の史跡)
最寄地 愛媛県今治市菊間町種2555 2018.3.6
登城ルート(緑線は車道)
林道入口・標識
堀切・3郭
2郭に建つ池原神社
頂上の高仙神社
高仙神社裏の土塁・南側石垣
高仙山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【感想】 北西に瀬戸内海を望む標高248.4mの高仙山に築かれている。主郭と2郭周囲は切り立った崖となり、南側に土塁、石垣が残っている。
駐車場が設けられ公園となっているが、東側の林道崩落で車では途中までしか行けない。西側からも歩道がありそうだ。
【案内】 圓成寺(表記)東より南東へ東山集落を抜けて約1.3km行くと林道高仙線入口がある[356 106 220*34](地図)。約1.2km地点で崩落個所がありその手前まで行き、残り約500mを徒歩で行くと駐車場に着く。
駐車場の北に小高い3郭の平坦地があり四阿が建てられている。北側に土塁、堀切が残っている。
高仙神社鳥居より時計回りに登ると、北端の2郭に池原神社が祀られ、その南の上段主郭に高仙神社が祀られている。
拝殿横に「高仙山城跡」の石碑が建てられ拝殿を囲むようにコの字に土塁が残っている。土塁の南側に石垣が少し残っている。
【歴史】 正平年間(1346年頃)河野氏一族の池原近江守通去が山城を築き居城とした。
永禄年間(1558年頃)池原兵部通吉が城主となった。
天正十三年(1585年)七月、豊臣秀吉の四国征伐で小早川隆景は数万の大軍を率い、来島通総を先導として新居浜に上陸した。連戦連勝破竹の勢いで東予の諸城を落し、重茂城、無宗天城を降伏させて高仙城を攻めた。
時の城主池原兵部通成は200余の兵を率いて大門大松山(伊予亀岡駅付近)にて迎え撃ったが、多勢に無勢大門大松山は破られ長谷の山崎ノ砦も落とされ、残兵19名と共に高仙山城に引き上げた。
七月十三日、高仙山城でも決死の攻防が繰り広げられたが、遂に矢は尽き刀は折れ、谷に充満する大軍を眺めながら自刃した(享年19)。『高仙山城跡』石碑文より。