鎧ヶ岳城 (よろいがたけじょう)
最寄地 大分県豊後大野市大野町田中 2019.12.8
鎧ヶ岳城 (よろいがたけじょう)
最寄地 大分県豊後大野市大野町田中 2019.12.8
登城ルート
林道より望む鎧ヶ岳城
林道よりの登り口
西側山頂
東側山頂
東側岩場
鎧ヶ岳城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高60m(駐車場より)】
【感想】 大分市と豊後大野市田中の境界に位置する標高847mの鎧ヶ嶽に築かれている。
岩場を巧みに利用した東西に細長い郭となっているが、建物を建てて住むには狭く感じられた。
【案内】 県道26号線「四辻峠」より西の林道鎧嶽線へ入る[マップコード237 554 642*47]。
600m程行き三叉路となり「えぼし公園」方面に行かず、直進し約1.4km行くと駐車場があり、その先に登山口の標識がある[マップコード237 552 189*71](地図)。
鎧ヶ嶽へ遊歩道が整備され、急斜面の岩場にはチェーンも設けられ安心して登れる。
【歴史】 築城年代は定かではないが、大友氏3代大友頼泰の弟・戸次(べっき)重秀により築かれたと云われる。
戸次氏代々の居城で12代戸次鑑連(のち道雪)は、鎮連を養子に迎え戸次氏の家督を譲り、筑前国立花城へ移った。
天正十四年(1586年)戸次鎮連の子・統常は、一族を率い島津氏に包囲された鶴賀城を援護するため、仙石秀久率いる四国勢と戸次河原で戦ったが、討死した。