二条城 (にじょうじょう) (国の史跡・日本100名城53・世界遺産)
所在地 京都府京都市中京区二条城町 2011.10.11
二条城 (にじょうじょう) (国の史跡・日本100名城53・世界遺産)
所在地 京都府京都市中京区二条城町 2011.10.11
東大手門
二の丸御殿
二の丸庭園
本丸御殿
天守台
西側内堀
二条城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 府道38号線(堀川通り)に沿って二条城東側に駐車場が設置されている[マップコード7 645 165*70] 。
城全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿(6棟)が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。さらに平成六年に世界遺産に登録されている。
休城日は年末年始のほか、毎年12月・1月・7月・8月の毎週火曜日で、それ以外の日の午前8時45分~午後4時まで一般有料公開されている。入城券(一般 600円 中学生・高校生 350円 小学生 200円)を買い求め東大手門より城内に入ると、中国語の飛び交う観光客や老若男女でにぎわっている。
美しい二の丸御殿唐門より入る。二の丸御殿内部は幕府時代の威容が感じられる。西に小堀遠州作の二の丸庭園が安らぎを与える。
内堀で囲まれた本丸に本丸御殿が移築されており、本丸西に本丸櫓門、南西に天守台が残り、約20mの内堀や石垣が見下ろせる。北門は通行禁止になっている。又外堀に面して二の丸に西南隅櫓、東南隅櫓がある。
昭和十四年(1939年)京都市の所有となり、11月30日、国の史跡に指定された。平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(53番)に選定された。
【歴史】 二条城は京都市街の中にある平城で、足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏によるものがあるが、現在見られるものは、徳川氏によるものである。
慶長六年(1601年)徳川家康の命により奉行板倉勝重が差配し、市中の多数の役務により翌年三月に完成した。
徳川家康、秀忠の将軍宣下が行われた。その後も造営は続けられ寛永三年(1626年)三代将軍家光が二条城に後水尾天皇を迎えたころ規模は最大となり五重の天守も上げられた。
しかし寛延三年(1750年)雷火のため天守を焼失、また天明八年(1788年)には、市中の大火に遭い本丸御殿、櫓の多くを焼失した。
文久三年(1863年)十四代将軍家茂が入城、攘夷の実行を誓い、また慶応三年(1867年)十五代将軍徳川慶喜が大政奉還を行った城である。江戸幕府の始まりと終焉の場所である。
明治四年、二の丸内に京都府庁が置かれ明治十七年(1884年)宮内省に属し、二条離宮と改称された。
明治二十六、七年本丸御殿跡に京都御所にあった桂宮御殿が移築され本丸御殿と呼称されている。