勝岡城 (かつおかじょう)
最寄地 宮崎県北諸県郡三股町蓼池2201−5 2019.3.6 5.5
勝岡城 (かつおかじょう)
最寄地 宮崎県北諸県郡三股町蓼池2201−5 2019.3.6 5.5
登城ルート
入口
2郭
2郭北側の土塁
主郭北側の空堀・土塁
虎口土塁・城跡標柱
主郭(藪化が凄い)
勝岡城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 北側入口付近の畑や、切岸などを見ている内、藪もあり、南へ登るのを忘れてしまった。機会があったらまた見てみたい。
2ヶ月後再度訪れてみた。主郭の北側に2条の土塁とその間の空堀がよく残っているが、藪化がすごく一部しか見られなかった。
東側の2郭は入口に施錠され立ち入れないが、北側に土塁が見られた。
【案内】 西側の表記番地より細い道を南東に約300m行き、右折して行く、フエンスで施錠された畑が2郭と思われる[マップコード117 584 259*56]。
右手の主郭入口に城跡標柱が建てられ、土塁が残り、北側は2重となっている。
【歴史】 島津宗家忠宗の五男・島津資久は、文保二年(1318年)に勝岡城を築いて樺山氏を称した。
明応四年(1495年)都於郡城主・伊東氏の所領となって加江田氏を城主とし、のち永正十七年(1520年)荒武藤兵衛を城主として改修させ、北郷氏の侵攻を破った。
しかし、天文元年(1532年)北郷氏に破れた。
豊臣秀吉の九州統一後は伊集院氏の所領となった。慶長四年(1599年)の庄内の乱では、伊集院氏方の拠点の一つになった。
元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった。