吉原山城 (よしわらやまじょう) (峰山城)
所在地 京都府京丹後市峰山町吉原 2017.5.5
吉原山城 (よしわらやまじょう) (峰山城)
所在地 京都府京丹後市峰山町吉原 2017.5.5
登城ルート(緑は二の丸/青は陣屋跡)
説明板
京極家陣屋跡・標柱
陣屋跡
大手道
三の丸
三の丸本丸間の空堀
金峰神社・本丸跡碑
本丸二の丸間の堀切・竪堀
二の丸
吉原山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【感想】 京丹後市の標高180.8mの山頂に位置し、大手道の大堀切や本丸の北西と西に堀切がよく残っている。
【案内】 府道17号線に「峰山城跡」の標識があり、そこより東に入った「第1区区民会館」駐車場が利用できる[マップコード197 456 353*58](地図)。
駐車場の斜め向かいに「京極家陣屋跡」がある。その左より北西に大手道があり、遊歩道が整備されている。三の丸に行く手前に大堀切が残っている。
比高約110mの山頂に本丸、西に空堀で隔て二の丸、北東に空堀で隔て小規模な三の丸が配置されている。
本丸には「金峰神社」が建てられている。二の丸は北側が一段高くなっており、「吉原山城二の丸跡」の石碑が建てられている。
【歴史】 南北朝時代、嘉慶二年(1388年)守護一色詮範により築かれ、配下の吉原氏が城主となった。
天正十年(1582年)織田信長の家臣長岡(細川)藤孝に攻略され一色氏は滅亡し、城主は細川氏に代わった。藤孝(幽斎)の次男・細川興元は本丸に陣屋を建て、二の丸、三の丸を置き、寺台の東に市街地を開き、嶺山と名付けた。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いの後、兄忠興と共に豊前国小倉(小倉城)に移り、山城は放置された。
江戸時代になり、藩主は京極氏に代わり、初代髙通は、元和十年(1624年)お国入りをして城下町を造り、峯山町と改称した。陣屋を南麓に置き、山城は廃城となった。