上村城 (じょうむらじょう)
所在地 熊本県玉名市岱明町上916−1 2021.4.12 2021.6.6
上村城 (じょうむらじょう)
所在地 熊本県玉名市岱明町上916−1 2021.4.12 2021.6.6
登城ルート(緑線は車道)
西側入口(左へ)
北側平坦地
空堀
空堀外の土塁
櫓台
櫓台の祠
大野光隆の墓
上村城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 玉名市岱明町上にある竹林となった小山が城跡中心で、櫓台に祠が祀られ、西に堀と土塁があり、北に空地、他の三方に民家が建っている。クランクした道が見られ城跡の雰囲気が漂う。
【案内】 上区公民館(表記番地)向かいの住宅の北から入る[マップコード69 016 730*24]。
50m程東の竹林の中に空堀と外側の土塁が残り、鉄階段が掛けられた櫓台と思える高台に祠が祀られていた。
小山の西の放置された竹林の中に空堀、土塁が見られる。
城主大野伊勢守光隆の五輪塔は、西方の平等寺(廃寺)の墓地内にある[マップコード69 016 750*50](地図)。
【歴史】 建久四年(1193年)四月、八幡別当紀国隆は、幕府から大野別符250町(岱明町と玉名市の一部)の地頭に任じられた。
国隆は、嫡子時隆(中村氏)・次男国秀(築地氏)・三男秀隆(大野氏、惣領職を継ぐ)に各55町を、女子5人には入婿を取り、中尾・山田(二塚)・岩崎・尾崎・河崎を分与した。
建武元年(1334年)に生まれた光隆はその後大野伊勢守と名乗り、開田(ひらきだ)の日嶽城主、次いで上村城主となった。
正平十四年(1359年)七月、懐良親王を奉じた菊池武光が少貮頼尚を討伐する折、光隆はこれに従い武勲を挙げた。
しかし、文中二年(1373年)頃、北朝方の今川了俊の玉名侵攻により、日嶽城、高道城、上村城はともに落城した。
『玉名市ホームページ』より。