大野城 (おおのじょう)
所在地 和歌山県海南市大野中 2022.4.4 5.1
大野城 (おおのじょう)
所在地 和歌山県海南市大野中 2022.4.4 5.1
登城ルート(緑線は車道)
2郭
登り口
主郭・城趾碑
北西の2段の郭
2郭
2郭3郭間の堀切
3郭
大野城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m(北側林道より)】
【感想】 海南市街の南方に位置する標高437mの山頂に築かれている。
主郭に城趾碑が建てられ、説明板は褪せて読めなかった。北西側に2段の郭が並んでいる。
西側尾根にも郭、堀切があり、更に西400mの山頂に藤白城がある。
藤白城の訪問時に、西側の2郭、3郭とその間の堀切が見られ、3郭の西は高い切岸が確認できた。
【案内】 東側を通る県道18号線に「森林公園 雨の森」入り口があり、大野城跡の道標が建てられている[マップコード146 794 078*30]。
そこから約2.1km西に行くと「森林公園 雨の森」があり、当日は桜が満開であった。さらに約550m行くと三叉路に着く[マップコード146 792 147*43] 。
ここまでは舗装道路で、左のカラーコーンより未舗装の道を約800m行くと城跡北側の登り口に着き、カーブ地点が広く駐車できる[マップコード146 792 154*25](地図)。
南に遊歩道が設けられ、鉄塔を過ぎ左に登ると、尾根に着く。浅い堀切から、西に登ると間もなく主郭に着く。
【歴史】 永和四年(1378年)山名修理太夫義理が紀伊守護として入城した。
明徳三年(1392年)大野城を追われた義理に代り大内義弘が和泉・紀伊守護職となり、陶弘宜に大野城を守らせた。
大内義弘も室町幕府に反乱を起こし(応永の乱)、応永六年(1399年)戦死し、代って応永の乱で功のあった畠山基国が紀伊守護職に任ぜられた。
基国はまもなく本城を大野城から広城(有田郡広川町)に移し、弟満則が大野城を守った。