棚底城 (たなそこじょう) (国の史跡)
最寄地 熊本県天草市倉岳町棚底646 2015.5.7
棚底城 (たなそこじょう) (国の史跡)
最寄地 熊本県天草市倉岳町棚底646 2015.5.7
登城ルート(緑線は車道)
登り口
Ⅷ郭・Ⅶ郭・石垣
Ⅵ郭・Ⅴ郭
Ⅳ郭・Ⅲ郭
Ⅱ郭・Ⅰ郭
Ⅰ郭・櫓台
1郭東横堀
棚底城 Ⅰ郭跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 国道266号線の棚底革を渡り西に350m行った信号のある交差点を右折、北に300m行くと溜池があり、城跡碑、案内図が建てられ、登り口がある[マップコード254 295 319*10] (地図)。
登ると間もなくⅧ郭がありⅠ郭まで階段状に曲輪が東西に連続して続いている。Ⅶ郭南に石垣が残り、Ⅳ郭の東に切岸が残り、Ⅲ郭より大手道が北側に代わり、虎口がある。
Ⅱ郭東にも切岸があり、城主の居館とされるⅠ郭跡には櫓台の土塁が残る。北には横堀が3条残っている。
【発掘調査】 発掘調査では夫々の郭で岩盤を掘り込む柱穴が見つかり、Ⅰ郭では大型建物跡や5列の小柱穴列遺構が出土した。
遺物としては貿易陶磁器類の出土量が県内でも群を抜いて豊富であり、ベトナム産青花碗など貴重な物も出土した。中国産天目碗や石製風炉、茶臼といった茶の湯道具や碁石のような娯楽品は、棚底城で豊かな生活が営まれていたことを示している。
平成二十一年(2009年)7月23日国の史跡に指定された。また周辺の棚底集落には石塁のある家が点在している。
【歴史】 戦国時代の天草は、天草氏・志岐氏・上津浦氏・栖本氏・大矢野氏の天草五人衆らによって治められていた。
棚底城は天草上島に勢力を持つ栖本氏と上津浦氏が幾度も争った。
相良家家老の書いた『八代日記』という古文書に、天文十三年(1544年)から永禄三年(1560年)まで棚底城をめぐって争いがあったことが記されている。