曽根城 (そねじょう) (町の史跡)
最寄地 愛媛県喜多郡内子町城廻855 2020.2.7
曽根城 (そねじょう) (町の史跡)
最寄地 愛媛県喜多郡内子町城廻855 2020.2.7
登城ルート(緑線は車道)
登り口の碑
虎口の城跡碑
主郭
主郭南東の石垣
南東の郭
曽根城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 中山川と麓川に挟まれた標高116.8mの丘陵南端部に築かれている。
個人所有地となっており、小屋が建てられており西から南にかけて帯郭があり、東側に石垣、腰郭がある。
全体的に鬱蒼としており、北側尾根に行くのは失念したが、堀切があるかも知れない。
【案内】 国道56号線「田中橋交差点」より県道に入りすぐ右折して麓川を渡って左折して行った表記番地先に低い登り口の碑が建てられている[マップコード234 214 096*81](地図)。その東側が広く路駐できる。
そこから民家の間を北に行き左に登る。帯郭の横の主郭虎口に城跡碑が建てられている。
昭和六十年(1985年)9月10日、内子町の史跡に指定された。
【歴史】 天文十三年(1544年)曽根(祖祢)高昌により築城されたと云われる。
天正五年(1577年)曽根城主・曽根宣高は内子龍王城主・城戸氏との戦いに勝利している。
天正十三年(1585年)豊臣秀吉の武将小早川隆景の軍が迫ると、曽根氏は隆景に降った。