八幡城 (はちまんじょう) (唐樋山城)
最寄地 島根県邑智郡美郷町浜原75 2018.5.9
八幡城 (はちまんじょう) (唐樋山城)
最寄地 島根県邑智郡美郷町浜原75 2018.5.9
登城ルート(緑線は車道)
登り口
9合目の道路
2郭・藤棚
主郭・城跡碑
城跡碑
八幡城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高160m】
【感想】 江ノ川右岸の標高248.2mの山頂に築かれている。放置され藪化しており、堀切などの遺構は見つけられなかった。
登り口左の藪の中に、「八幡城公園」の看板がありいやな予感がし、そこからわずか数百m先から道路に笹が密生しているのには驚かされた。掻き分けて登らざるを得なかった。(昭和の高度成長期の頃、一時期公園として整備され、頂上まで道路が敷設されたと思われる)
頂上は南側が高く、城跡碑があり北側の一段低い所の木々に埋もれて「八幡城の由来」を発見した時は、苦労が報われた感がした。
【案内】 国道375号線より、旧三江線「浜原駅」に向かう。元駅舎の前に「浜原地区ガイドマップ」が建てられている。
登り口は駅の南から踏切を渡り車道を登っていった、浜原駅の裏手にある「島根製靴」(表記番地)の先のT字路付近にある[マップコード430 492 763*66](地図) 。その付近に駐車できる。
そこから東に放置され藪化した公園道路が設けられている。主郭には城跡碑の他、城跡保存活動に尽力され用地を無償で提供された福原通博の顕彰碑(浜原交友会)が建てられている。
【歴史】 天文二十年(1551年)八月、大内義隆が討たれ大内氏滅亡のあと石見銀山をめぐり、安芸の毛利元就と出雲の尼子晴久の抗争は激化していた。
弘治二年(1556年)、龍岩寺城に拠る佐波越後守興連・佐波家14代常陸介隆秀父子は、元就の家臣となり、都賀の要路を押さえる為八幡城を築城したという。八幡城は初め唐樋山城と云われ、後、桂根八幡宮の背後にあるため八幡城と称した。
隆秀の子恵連に至り備後の東城に移り、廃城となった。『八幡城の由来』