水ヶ江城 (みずがえじょう)
最寄地 佐賀県佐賀市中の館町7−11 2020.3.10
水ヶ江城 (みずがえじょう)
最寄地 佐賀県佐賀市中の館町7−11 2020.3.10
中の館児童公園の龍造寺隆信公誕生地碑
用水路
中の館児童公園・龍造寺隆信公碑(中央の石碑)
龍造寺隆信公碑
龍造寺隆信公胞衣塚
水ヶ江城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 環濠を巡らせた平城であったが、中の館自治会館や中の館児童公園となり遺構は見られない。公園内に誕生碑や胞衣(えな)塚が建てられている。
【案内】 佐賀城南東より南に行った「乾享院(けんこういん)」(表記番地)に駐車出来、その西の「中の館児童公園」に「龍造寺隆信公誕生地」碑が建てられている[マップコード87 261 657*36](地図)。
【歴史】 文明年間(1469~87年)に、龍造寺康家によって築城された。
当初は館程度の規模であったが、龍造寺家兼の改修により城塞化した。周囲の地形は険しくないが、その分を補うために濠がめぐらされていた。
元亀から天正にかけて、大友氏は佐賀から有明海に通じる水上交通路を利用して海上から佐賀を攻撃しようとしており、水ヶ江城はその攻撃目標とされていた。享禄二年(1529年)水ヶ江城で龍造寺隆信が誕生した。
龍造寺隆信は18歳で龍造寺本家の当主となると、弟の龍造寺長信を城主として守らせた。隆信は各地の合戦に連勝し肥前・筑前・筑後と肥後、豊前の大半それに壱岐・対馬を支配、五州二島の太守とうたわれた。
天正十二年(1584年)有馬晴信の反乱に遇い自ら島原半島に出陣したが、有馬軍を援けた島津軍に討たれた。
その後、鍋島氏が佐賀城を築城したため廃城となる。