般若寺城 (はんにゃじじょう) (笹山砦)
最寄地 兵庫県丹波篠山市般若寺482 2020.5.4
般若寺城 (はんにゃじじょう) (笹山砦)
最寄地 兵庫県丹波篠山市般若寺482 2020.5.4
登城ルート
般若寺配電塔右の登り口
主郭・説明板
説明板
西側から見た主郭切岸
西の郭
西側の浅い堀切
般若寺城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高45m】
【感想】 正覚寺背後にある標高260mの笹山に築かれている。主郭は草木が茂っており、不明瞭であるが、その中に説明板が建てられている。
西側は細長く西端に浅い堀切が残っている。
【案内】 県道702号線より北に行った八幡神社や般若寺公民館に駐車できる[マップコード155 856 505*74]。付近は住宅地で駐車出来る所は少ない。
徒歩で北に行き、すぐ右折して行くと正覚寺(表記番地)入口がある。狭い道を行った茅葺の山門前に城址碑、説明板が建てられている。
登り口は戻って東に行き、細い道を北に行った般若寺配電塔横にある(地図)。
そこから尾根に出て右に登ってゆくと主郭に着く。主郭には説明板が建てられており、一段低い西側は山林の平坦地となっている。
【歴史】 八上城主波多野秀治により奈良般若寺の僧を招き大松山般若寺を建立した。
天正三年(1575年)織田信長の命を受けた明智光秀は丹波攻めを行ったが、波多野氏・赤井氏らの抵抗に遇い苦戦を強いられた。
3年後の天正六年(1578年)、明智光秀は波多野氏の居城八上城を包囲するため、向城の1つとして笹山に般若寺城を築いた。城将は光秀の兄明智治右衛門が務め八上城包囲作戦の拠点となった。
天正七年(1579年)の攻防で般若寺は焼失した。1年に及ぶ包囲作戦の結果、波多野氏は降伏、八上城は落城した。波多野秀治が光秀と和談のため会見したのも、般若寺城と伝えられている。
寛永元年(1624年)三月、般若寺の跡地に正覚寺が創建された。