亀居城 (かめいじょう) (小方城) (市の史跡)
所在地 広島県大竹市小方2丁目12 2013.10.7
亀居城 (かめいじょう) (小方城) (市の史跡)
所在地 広島県大竹市小方2丁目12 2013.10.7
なしの丸
有の丸
三の丸
二の丸石垣
本丸虎口石垣
本丸・天守台
亀居城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 国道2号線「新町陸橋南」交差点より西へ山陽本線を越え、県道117号線を右折、「小方橋北詰」交差点を左折し、200mほど行った地点を右折し、山陽自動車道のすぐ東に亀居公園駐車場が用意されている[マップコード103 251 455*35](地図)。
遊歩道を200mほど東に行き、回り込んで登ると、左に松の丸、右に梨の丸と有の丸がありその西に三の丸、二の丸、本丸と並んでいる。本丸には天守台が残り、石垣の保存状態は良好である。
大竹市の指定史跡となっている。
【歴史】 慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いの後に、安芸国を与えられた福島正則が長門・周防に減封された毛利氏への押さえとして、山陽道を城内に取り入れて慶長八年(1603年)築城が開始され、5年もの歳月をかけて、非常に巨大な堅城として完成した。
城主になる予定だった正則の甥・福島正宜は前年に死去しており、山田小右衛門と森佐助の両名が城代として亀居城に入った。
豊臣恩顧の福島氏への徳川氏の圧力が非常に強くなり、正則は徳川氏の意向に従うこととなった。
亀居城は完成よりわずか三年後の慶長十六年(1611年)に破却され、その役目を終えた。天守や主要な建造物は撤去されたが、城地はそのまま荒れ、草木に埋もれていった。
昭和五十二年(1977年)に発掘調査がなされ、徐々に修復が進み亀居公園として整備され、現在は桜の名所として市民に親しまれている。