後藤館 (ごとうやかた)
所在地 滋賀県東近江市中羽田町 2017.1.13
後藤館 (ごとうやかた)
所在地 滋賀県東近江市中羽田町 2017.1.13
説明板
北側土塁・堀跡
門石垣
東側土塁・曲輪
後藤館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 門跡の石垣や北から東にかけて土塁、堀跡がよく残っている。館跡内部は現在、田圃として利用されている。
【案内】 館跡北側の道路脇に説明板が建てられている[マップコード67 618 067*28]。
基底幅約11m、高さ約3mの土塁を築き、その外に堀を巡らせた館跡で、東辺約100m、西辺約120mの変形四角形の郭がある。
西辺中央部に石垣の門跡が残っている。
昭和五十六年(1981年)の発掘調査で、井戸跡、厠跡、柵跡などが検出された。
昭和五十八年(1983年)3月28日、滋賀県の史跡に指定された。
【歴史】 五島氏の名は、室町時代前期に現れ、代々六角氏の家老の位置にあった。
16世紀中ごろ、後藤但馬守賢豊は六角義賢の信望を受け権勢をふるったが、永禄六年(1563年)義賢の子義弼(よしすけ)に謀殺された。
これが観音寺騒動の発端となり、義弼は家臣団の信望を失い、永禄十一年(1568年)織田信長に滅ぼされた。