鎌刃城 (かまはじょう) (国の史跡)
所在地 滋賀県米原市番場 2015.5.2
鎌刃城 (かまはじょう) (国の史跡)
所在地 滋賀県米原市番場 2015.5.2
登城ルート
堀切
南副郭・土塁
主郭西斜面の高石垣
主郭・桝形虎口
主郭・土塁
北副郭
北側大堀切
鎌刃城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高240m】
【感想】 米原市番場の北へ伸びた標高383m地点の尾根に主郭がある。
主郭には石垣の枡形虎口や大石垣が残っており、見応えがある。
南の尾根に副郭があり、2条の堀切がよく残っている。また、北の尾根に6つ、西の尾根に8つの小郭が連続して配置されている。
【案内】 米原IC入口の西200mの国道21号線「樋口西」交差点より、南へ県道240号線を行き、「米原JCT」東より左折、約6.3km(途中から林道になる)行ったところに駐車スペースがあり、説明板が建てられている[マップコード 101 443 823*65 ](地図)。
入口から北に約300m尾根を下ると堀切があり、さらに行くと南副郭に着く。空堀で2つに区分され、南側に土塁が残り、褪せた説明板が建てられている。
南副郭の北に2、3m高く主郭がある。主郭には土塁が残り、北東に桝形虎口石垣、西斜面に大石垣があり、各所に石垣が点在して残っている。
北副郭に木組みの櫓があり、桝形虎口の石垣が残っている。城跡南東にある清竜滝付近には水の手と伝えられる岩盤をくりぬいて造られた石樋がある。
番場宿より名神高速道路を潜って林道があるが悪路らしい[マップコード101 502 160*42]〈地図〉。番場宿より登山道の比高は約240mである。
平成十七年(2005年)3月2日、国の史跡に指定された。
【歴史】 鎌倉時代に箕浦庄の地頭であった土肥氏の居城として築城されたと伝えられている。番場宿から離れた山中にあり、境目の城として軍事目的のみで築かれた砦程度と思われ、土肥氏は番場に今も残る「殿屋敷」に居館を構えていたと推定されている。
室町時代、江南の六角氏と江北の京極氏や浅井氏の国境に位置し「境目の城」として築かれたと考えられている。
史料からは、文明四年(1472年)以降に登場し、六角氏方の土豪今井秀遠が、京極氏方の堀次郎左衛門尉の守備する鎌刃城を攻略し家臣の島秀安を城代に置いた。
天文七年(1538年)堀氏が六角氏に降り、再入城したことが知られている。
永禄二年(1559年)堀氏は浅井氏に属した。元亀元年(1570年)、堀秀村は同族の樋口氏と共に織田信長に降り、翌年五月六日に浅井長政に攻められた。
この時横山城を守備していた木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が応援に駆け付け、長政軍を撃退した『信長公記』。
天正二年(1574年)堀秀村が突然改易され、秀村の重臣樋口三郎兵衛夫婦は甲賀で打ち取られた。その後まもなく廃城となった。