大岩山砦 (おおいわやまとりで)
所在地 滋賀県長浜市余呉町坂口 2016.10.27
大岩山砦 (おおいわやまとりで)
所在地 滋賀県長浜市余呉町坂口 2016.10.27
登城ルート(赤が大岩山砦/緑は岩崎山砦)
坂虎口
2郭・土塁
主郭・墓
中川清秀の墓
大岩山砦跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高130m】
【感想】 余呉湖の南東の賤ヶ岳に連なる尾根山頂にあり、余呉駅から2km(江土登り口から1.6km)と遊歩道を歩かねばならない。土塁は低く背後には堀切もなく、全体的に防御性が甘いと思われる。
【案内】 国道365号線「余呉湖口」交差点より県道33号線を西に550mほど行くと、橋の手前の右側に余呉駅・観光用駐車場が用意されている[マップコード192 414 497*82](地図)。
150mほど東に行った江土登り口より賤ヶ岳に向かう遊歩道を400mほど行くと、岩崎山砦入口があり、更に1.6km行くと大岩山砦がある。
砦跡は標高281m比高約130mの大岩山にあり、2郭、少し高くなって主郭と地続きにあり、主郭に中川清秀の墓がある。2郭の左右と墓の周りに、土塁が残っている。
2.5km遊歩道を南西に行くと賤ヶ岳に至る。
【歴史】 天正十一年(1583年)羽柴秀吉と柴田勝家が覇権を争った賤ヶ岳合戦の前哨戦で、中川清秀は摂津茨木衆3千人を引き連れ大岩山に築城を開始した。
四月二十日早朝、勝家の甥・佐久間盛政が大岩山を包囲殲滅し、岩崎山を急襲し二城を落とした。
気を良くした盛政は勝家の早々に引き上げるようにとの命に従わず、大岩山一帯を占領し続け、秀吉の追撃を受けて敗北した。
一方、42歳の中川清秀は部下と共に盛政の奇襲で全員討死した。中川家はその後、豊後岡城に移封され、5代の孫中川久恒は祖宗主従の眠るこの地に墓碑を建て供養した。