千葉城 (ちばじょう) (牛頸城・祇園城・牛頭城)(ごずじょう)
所在地 佐賀県小城市小城町松尾 2020.3.10
千葉城 (ちばじょう) (牛頸城・祇園城・牛頭城)(ごずじょう)
所在地 佐賀県小城市小城町松尾 2020.3.10
登城ルート(緑線は車道)
出城・展望台
西の郭
南側上段
主郭
主郭東の郭・テレビ塔
千葉城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m(駐車場より)】
【感想】 祇園川左岸の標高134mの城山に主郭があり、西の展望台のある千葉公園が出丸で、更に下方の須賀神社も出丸と云われる。
主郭は削平されたようで、遺構は少ないが、南から西にかけて竹藪となった段郭が見られる。西側の広い郭が2郭と思われる。
【案内】 県道48号線の祇園川東堤防の細い道に入り、千葉公園駐車場に向かう[マップコード87 460 872*45]。
そこより西に行くと、千葉公園として整備された出城に展望台・説明板が建てられている。最高所に石碑がある(地図)。
戻って駐車場より東に行くと、西端の広い郭がある。そこから径は荒れ、終点からほとんど直登すると、3段ほどの帯郭があり、主郭に着く。
主郭の東下段にテレビ塔が建てられ、東端に金毘羅社が祀られている。
【歴史】 鎌倉時代末期、関東千葉氏の一族千葉宗胤が小城に下向し、関東千葉氏本家の支配下にあった。築城時期は明確ではないが、南北朝時代から室町時代にかけてのことと考えられる。
戦国時代初期には、小城・佐賀・杵島の3郡を支配下に置き、龍造寺隆信の台頭まで勢力を張った。
文明二年(1470年)千葉氏の内乱から発展した土一揆合戦が起きた。
天文十五年(1546年)龍造寺家兼の馬場頼周により攻略され衰退し、龍造寺氏の支配下に入った。その後鍋島氏の家臣として続いた。