赤木名城 (あかきなじょう) (国の史跡)
最寄地 鹿児島県奄美市笠利町大字里364 2015.5.9
赤木名城 (あかきなじょう) (国の史跡)
最寄地 鹿児島県奄美市笠利町大字里364 2015.5.9
登城ルート
秋葉神社・登り口
曲輪1土塁
曲輪2
堀切1
堀切2
堀切3
台跡・説明板
背後の堀切4
台の北西側石垣
赤木名城 台跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高90m】
【案内・感想】 鹿児島新港を夕方6時のフェリーで出発し、早朝5時に名瀬新港に着いた。国道58号線沿いの砂糖黍畑や蘇鉄の多い景色を見ながら笠利町へ向かう。
赤木名郵便局と赤木名中学校(表記番地)の間の道を北に約130m行った、秋葉神社鳥居より北に登る[マップコード675 396 801*00] (地図)。
標高75mから80mに曲輪1があり周囲に土塁が残り、北に少し高く曲輪2がある。西斜面に帯曲輪がありその下に竪堀がある。
尾根の堀切1,2,3を経て、標高約100mの最高所の尾根に台と呼ばれる曲輪があり、二段になっており、北側は中央がこんもり高くなっている。
その北直ぐに堀切4・5の二重堀切があり西斜面に石垣が残っている。更に北に堀切6、7が残っている。
【発掘調査】 1999年から2001年まで調査が行われ、曲輪1から建物柱穴が見つかっており、曲輪2から半径1mの焼土とその周辺から鉄宰が見つかり鍛冶遺構と考えられている。
平成二十一年(2009年)2月12日、国の史跡に指定された。
【歴史】 12世紀に築かれ、17世紀まで使用が確認された。奄美大島の北部の笠利湾赤木名港の奥、赤木名集落を後背から見下ろす標高約100mの丘陵にある山城である。
南北350m、東西80mで、比較的小規模の城の多い奄美群島では大型の城になる。九州から沖縄県に掛けての歴史上重要な城と評価が与えられている。
その構造から本土的な城である事が明らかになり、それまでの琉球的と考えられてもいた奄美群島の城跡研究に一石を投じている。