柴田城 (しばたじょう)
最寄地 福岡県筑紫野市天山161‐2 2015.5.5
柴田城 (しばたじょう)
最寄地 福岡県筑紫野市天山161‐2 2015.5.5
登り口・説明看板
主郭・櫓台の祠
櫓台上の祠
主郭南西の2郭
北西の空堀
柴田城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 西方寺(表記番地)の南約240mに説明看板がある[マップコード55 217 451*50]。
そこより斜めに50mほど登ると、主郭があり墓地となっている。少し高い所に祠が祀られている。
その南西に一段低く広い2郭があり、北西側に空堀が残っている。
【歴史】 鎌倉時代末期から南北朝時代の頃の菊池武光らの砦と案内板に書かれている。
菊池武光は元応元年(1319年)に生まれ、応安六年(1373年12月29日)高良山攻防戦の最中に死去した。
戦国時代末期の天正六年(1578年)には勝尾城主筑紫広門(ひろかど)の端城となり、その家臣・村山近江守の子弾正の城であった。