障子ヶ岳城 (しょうじがだけじょう) (町の史跡)
最寄地 福岡県京都郡みやこ町勝山松田507 2016.5.17
障子ヶ岳城 (しょうじがだけじょう) (町の史跡)
最寄地 福岡県京都郡みやこ町勝山松田507 2016.5.17
登城ルート
登り口(1.8㎞手前)
空堀・北の丸跡の切岸
北の丸跡碑
馬場跡
二の丸跡
本丸・土塁
本丸跡標柱・土塁
障子ヶ岳城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高370m】
【案内・感想】 国道201号線「勝山松田」交差点より北に、ユニプレス九州㈱(表記番地)へ向かう道を約850m行くと、左に「←障子ヶ岳城跡」の標識が建てられている。
そこより左折し、1.2km行った森の中に駐車スペースがあり、「障子ヶ岳登山口(山頂まで1.8㎞)」の道標がある[マップコード96 676 680*64](地図)。
1.2㎞ほど緩やかな道が続き、残り600mは急なジグザグの登山道となる。
尾根に出て左に登ると、北の丸の下に出、空堀が残っている。北の丸は土塁がめぐり、「北の丸跡」の碑が建てられている。
右に行くと馬場跡があり、説明板の上段に二の丸跡がある。両側に土塁が残る。
標高427.3m比高約370mの障子ヶ岳頂上に主郭があり、土塁がめぐり、本丸跡標柱が建てられ、南端の櫓台城に三角点がある。樹木は無く、見晴らしは極めて良好で、香春町の町並や香春岳の絶景が一望できる。
平成二十一年(2009年)11月、みやこ町の史跡に指定された。
【歴史】 西方に位置する香春岳城の支城ともいわれる。『豊前古城記』によれば、建武三年(1336年)足利尊氏の命を受けた一族の武将・統氏の築城によって始まるとされるが定かではない。
その後、わずかに残る史料から、15~16世紀にかけ、門司氏や宇佐郡衆を務め、関連する戦乱の舞台となった事が確認できる。
天正十四年(1586年)豊臣秀吉の九州征伐に伴い落城した。
昭和六十二年(1987年)「障子ヶ岳の城攻め」と銘打った地域住民主体の町づくりボランティア活動により、山林化していた城跡を往時の姿に回復した。『みやこ町教育委員会説明板』より。