直方陣屋 (のおがたじんや)
最寄地 福岡県直方市大字直方674 2021.4.10
直方陣屋 (のおがたじんや)
最寄地 福岡県直方市大字直方674 2021.4.10
城址碑
直方市体育館
東下の公園
多賀児童遊園地
北側の切通し
西徳寺の山門
直方陣屋跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 遠賀川左岸の御館山と呼ばれる台地にあり、現在多賀公園となっている。
遺構は少ないが北側の多賀神社や藤姫稲荷神社のある台地との間に切通しがあり、堀跡と思われる。
【案内】 西側を通る市道より入った直方市体育館(表記番地)駐車場が利用できる[マップコード68 267 517*13]。
体育館の北にある台地が陣屋跡で多賀児童公園となっている。西側の市道に面して「直方城址」の石碑、説明板が建てられている。公園入口は体育館北東側にある。
西徳寺(直方市大字山部540)の山門として、陣屋にあった薬医門が移築されている。駐車場は西側の県道側にある[マップコード68 296 208*06]
【歴史】 元和九年(1623年)黒田長政の4男高政は、4万石を分地されこの地に東蓮寺藩を開いた。場所は現在の雙林院(直方市殿町14)一帯とされる。
2代之勝を経て3代藩主・長寛の時地名を直方に改名した。
その後、元禄元年(1688年)4代長清は5万石を分地され、妙見山に藩主館を築いた。現在は多賀児童公園となっている。
全盛期には約1700名の家臣団が住む城下町として栄えた。
長清の嫡子・長好は福岡藩5代藩主・宣政に子がなかったため養嗣子(のちの福岡藩6代藩主・継高)となった。
享保五年(1720年)長清が没し所領は福岡藩に返された。