八幡山城 (はちまんやまじょう)
最寄地 広島県三次市下志和地町769 2022.11.6
八幡山城 (はちまんやまじょう)
最寄地 広島県三次市下志和地町769 2022.11.6
登城ルート
入口
2条の竪堀
2郭・主郭切岸・窪地
主郭・土壇
3郭
北側の畝状竪堀
八幡山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高60m】
【感想】 板木川右岸の標高245mの山頂に築かれている。
3つの主要郭が東西に配置され周囲は急な切岸で、北側には畝状竪堀、北東には多重堀切がよく残っている。井戸跡や石積みが残り見所は多い。
【案内】 板木川を渡った表記番地北より入り[マップコード244 232 841*12]、民家の間の先にフエンス扉がある(地図)。駐車スペースは少なく、遠くに停めて歩く必要がある。
扉より入るとすぐ堀道があり、やがて谷に2条の竪堀が見えてくる。竪堀の先に3重となった堀切があり、南へ行くと段郭を経て2郭に着く。途中に畝状竪堀が残っている。2郭に井戸跡の窪みが見られる。
2郭の西に3郭、東に石積みの主郭がある。主郭は中央に土壇があり、神社跡が残っている。
説明板は県道37号線に面した「Aコープかわち店」(三次市上志和地町180)駐車場横にある[マップコード244 261 522*55](地図)。
【歴史】 三次盆地の領主三吉氏は多くの山城を築き、一族や家臣を配置した。八幡山城もその一つで西方の拠点であった。
永正年間(1504~21年)高田郡甲田に居城を構える宍戸氏や毛利氏との合戦があったという。
天文九年(1540年)六月、尼子晴久は宿敵の毛利氏を攻めるため、八幡山城に軍勢を置き、可愛(えの)川対岸の宍戸氏の支城祝屋城を攻めるが、犬飼平の要害地に阻まれて進めず、一旦軍勢を引き、九月に再び別のルートから毛利氏の居城郡山城を攻めた。