周匝茶臼山城 (すさいちゃうすやまじょう)
所在地 岡山県赤磐市周匝15−6 2018.3.4
周匝茶臼山城 (すさいちゃうすやまじょう)
所在地 岡山県赤磐市周匝15−6 2018.3.4
登城ルート(緑線は車道)
駐車場より見た主郭
堀切
模擬天守
南側の竪堀
北東の腰郭
南東の畝状竪堀
周匝茶臼山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高110m】
【感想】 吉野川が合流する吉井川右岸の標高171.3mの山頂に築かれている。美作と備前を結ぶ交通の要衝であった。
堀切や竪堀、畝状竪堀が残り、城山公園として草木が刈られよく保存されている。
【案内】 吉井城山公園(表記番地)となっており、山頂の本丸に模擬天守が建てられ、冠木門、石垣が復元されている[マップコード153 026 401*38]。内部は史料館、展望台となり無料で見学できる。
西側に堀切が残り、北東と南東に腰郭が設けられ、特に南東側には畝状竪堀がよく残っている。
池田家墓所一帯が2の丸と思われる。
【歴史】 築城時期は不明だが、天文年間(1532~55年)初め頃、笹部勘次郎により築城されたと云われる。
天正七年(1579年) 宇喜多氏の美作侵攻により、落城した。
天正十二年(1584年)毛利元清が民政充実のため茶臼山へ移城した。
天正十五年(1587年) 豊臣秀吉が、九州征伐に引き続いて朝鮮の役で三度往復の途次、再三立ち寄った史実があり、また長府藩主毛利秀元との由縁も深い。
慶長五年(1600年) 関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、毛利氏が萩へ西帰するまで16年間在城した。
江戸時代には備前池田藩が周匝に一族で家老の池田伊賀守(片桐池田家)を配置し、陣屋を構えていた。