杵築城 (きつきじょう) (木付城・台山城・勝山城・臥牛城)
所在地 大分県杵築市杵築城山16‐1 2012.9.11 2019.5.4
杵築城 (きつきじょう) (木付城・台山城・勝山城・臥牛城)
所在地 大分県杵築市杵築城山16‐1 2012.9.11 2019.5.4
登り口・門
北西の城山公園
門・塀
本丸・模擬天守
木付城趾の碑
武家屋敷
杵築城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 守江湾に注ぐ八坂川の河口北の台山にある。すぐ東を国道213号線が通っている。「杵築城」の標識のある交差点を西に100m行くと、駐車場が用意されている[マップコード878 570 527*63](地図)。
門より南に登ると、城山公園として整備され、台山の天守台跡に博物館(表記番地)と展望台を兼ねた独立式望楼型三重三階模擬天守が建てられている(1970年・RC造)。
三階の展望台からは干潮で遠浅の守江湾や国道の橋、西の武家屋敷の建つ断崖や杵築の町が望める。山麓居館部は、現在の杵築神社、杵築中学校一帯に位置し、神社北側に石垣が残っている。
藩主御殿跡には現在市立図書館と公民館が建てられているが、庭園の遺構が残り、平成二十八年(2016年)2月23日、大分県の史跡に指定された。
天守の西約400mには道路の両端に築地塀が続き「大原邸」「磯矢邸」等の武家屋敷が保存されている。
【歴史】 明徳四年(1393年)に、木村頼直により築かれた。
戦国時代、島津氏の大軍に攻められたが、籠城の末これを退けた。しかし、後に主君の22代大友義統(よしむね)が文禄の役での失態の責めを負って豊臣秀吉により幽閉されると、当主木村統直は自刃し木付氏も滅びた。
その後、前田玄以、秀吉の腹心だった宮部継潤、杉原長房、続いて慶長四年(1599年)には細川忠興の所領となり、重臣の松井康之・有吉立行を城代とした。
寛永九年(1632年)、忠興の子・忠利が熊本藩に移封となり、代わって小笠原忠知が入った。
その後、正保二年(1645年)松平英親(能見氏)が豊後高田藩より3万2千石で封じられ、松平氏が明治維新まで居を構えた。