牟岐城 (むぎじょう)
所在地 徳島県海部郡牟岐町大字灘宮田102 2020.12.7
牟岐城 (むぎじょう)
所在地 徳島県海部郡牟岐町大字灘宮田102 2020.12.7
登城ルート(緑線は車道)
海蔵寺・墓地入口
主郭・観音堂
主郭北西の石垣
東鞍部郭の墓地
牟岐城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高40m】
【感想】 牟岐川左岸の標高約57mの丘陵に築かれている。主郭には観音堂が祀られ、唯一広場になっているが、四方に伸びたすべての平坦地は墓地になっている。
金刀比羅神社が南郭で、背後の道が堀状になっており、主郭の北の墓地が帯郭で古い石垣が見られ、東の鞍部、東の郭などがあるが、目立った遺構は見られない。
【案内】 県道147号線より南側の町道を行った海蔵寺(表記番地)東の「同倫コミュニティセンター」横に駐車できる[マップコード427 591 701*80]。
海蔵寺本堂右より金刀比羅神社へ行き、墓地より観音堂のある主郭に真っ直ぐ階段が設けられている。
最近、県道147号線から津波避難路が東郭まで設けられている(地図)。
【歴史】 築城年代は定かではないが、元亀年間(1570~73)に牟岐大膳允により築城されたと云われる。
天正三年(1575年)に海部城が土佐国の長宗我部元親に攻め落とされると、人質を出して降伏した。
天正十年(1582年)に中富川の戦いが行われた際、牟岐右京進が長宗我部勢として参加した。
天正十三年(1585年に豊臣秀吉の四国攻めのあと廃城になったと考えられている。
元治元年(1864年)清岡道之助を首領とする土佐勤皇の志士「二十三士」が脱藩し、宍喰の関所で止められた一行は牟岐に護送され、海蔵寺で取り調べを受けた。