神辺城 (かんなべじょう) (村尾城・神辺道上城・紅葉山城・楓山城)
最寄地 広島県福山市神辺町大字川北6-1 2017.5.13
神辺城 (かんなべじょう) (村尾城・神辺道上城・紅葉山城・楓山城)
最寄地 広島県福山市神辺町大字川北6-1 2017.5.13
登城ルート(緑線は車道)
神辺歴史民俗資料館
南東尾根の橋・竪堀切
二番櫓跡
乾櫓跡
本丸
神辺城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 麓より比高120m】
【感想】 福山城の北北東約5.6㎞の標高133mの黄葉山頂上にあり、東より本丸、二の丸、三の丸と一段づつ下がって並んで配置されている。
本丸の南東部斜面に石垣跡が見て取れる。福山城築城の際、石も運ばれたと思われる。
【案内】 国道313号線より約900m行くと、市立「神辺歴史民俗資料館」西に駐車場がある[マップコード201 136 108*55](地図)。西に竪堀の橋を渡って行くと、西端に三番櫓のあった三の丸がある。
現在の県立神戸高校付近は古屋と呼ばれ、城主の館を中心に武士の屋敷があったと考えられている。
なお、神辺城(黄葉山)の城名は廃城後に付けたれたものであり、歴史上は「村尾城」が正確な呼称である。
【歴史】 元弘の乱(南北朝争乱)で戦功を挙げた朝山次郎左衛門尉景連が建武二年(1335年)に備後守護職に任ぜられ、築城されたとされる。
以来備後国守護職の居城として使われ、仁木義長、細川春頼、高師康、上杉顯能、山名時義が守護となり一時期を除いて山名氏の備後支配が続き、夫々守護代が居城とした。
戦国時代、天文十二年(1544年)頃に神辺城は大内氏に攻められ(神辺合戦)、杉原 (山名)理興(ただおき)は約7年間持ちこたえるが、天文十八年(1549年)に落城した。その後、平賀隆宗、家老の杉原盛重、藤井皓玄、毛利元康が城主となった。
江戸時代には福島正澄(丹波)、水野勝成が入城した。元和五年(1619年)水野氏が福山城を築城し、神辺城の櫓楼や門などが移築された。