岡城 (おかじょう)
最寄地 長崎県雲仙市瑞穂町古部乙266 2019.12.10
岡城 (おかじょう)
最寄地 長崎県雲仙市瑞穂町古部乙266 2019.12.10
登城ルート
町道城線の城橋・左に登る
南郭
南郭西面の石垣
主郭南の大堀切
主郭・土塁
岡城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 鍵峰城の南東約700m、鶴亀城(神代城)の南西約5kmに位置し、主郭の南北に堀切を挟んで2つの郭がある。主郭西側にも腰郭が見られる。
石垣のある北郭は畑として利用されているが、主郭や南郭は放置され藪化している。主郭南の大堀切と土塁は見応えがある。南郭の西面にも石垣が見られた。
【案内】 北麓の入口に説明板が建てられている(地図)[マップコード325 041 585*13]。そこから南へ行き表記番地先から左に登る道があり、石垣が見られる。そのまま進むと、堀切、北の郭がある。
戻って、表記番地先100m付近から左手に大堀切が見える(地図)。そこを分け入って堀切奥から左に登ると、土塁がありその北に主郭が広がっている。
また、戻って南に行くと、道から石垣が見え、その上に南の郭があり、岩が散乱している。
【歴史】 戦国時代末期には、城主は神代(こうじろ)城主神代貴茂の弟岡刑部大輔貴明と云われる。鍵峰城と共に神代城(鶴亀城)の出城と考えられる。
天正十二年(1584年)龍造寺隆信は沖田畷(島原)で有馬・島津の連合軍と戦い、戦死した。その時、神代貴茂も有馬軍によって討たれ、岡一族も滅亡した。