打下城 (うちおろしじょう) (大溝古城)
最寄地 滋賀県高島市勝野2166 2016.12.25
打下城 (うちおろしじょう) (大溝古城)
最寄地 滋賀県高島市勝野2166 2016.12.25
登城ルート
橋の先の登山口標識
尾根鞍部
二重堀切
中主郭・説明板
中主郭南西側の空堀
南郭・土塁
打下城 中主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高280m】
【感想】 初回には、橋を直進してしまって全然関係ない所をさまよった。
2度目の訪城で、直径30mほどの中主郭の土塁、南西側の空堀が見られ、はるばる比高280mも登ってきた甲斐があった。
【案内】 湖西線「近江高島駅」より西に約400m行った日吉神社(表記番地)[マップコード263 436 634*04]前に駐車出来、南側に登山口標識がある。
南に10m行き沢に架かる橋の先の右に「→打下城跡・長法寺跡登山口」の2枚目の標識がある(地図)。
笹藪の間を沢に沿って登り、獣除けフエンス扉を開け閉めして登ってゆくと、右側に大きな「山王谷砂防ダム」が見えてくる。1.2kmほど登ってゆくと尾根鞍部(地図)に着く。右(西)に行くと長法寺跡に至る(かなりの距離があり、辿りつけず引き返した)。
左(東)に200mほど行くと、標高374mの中主郭で、空堀が南西側に巡らされ北端は2重になっている。土塁を越えると中主郭で説明板が建てられている。南側に虎口があり、その横に石垣が残っている。
虎口より比高10mほど下がると南郭(地図)で東は輪に土塁が残っている。北に比高30mほど下ると北主郭(地図)があるが、降り口が判らなかった。
【歴史】 打下城の創建は永禄年間(1558~70年)以前に国人領主の林氏または高島氏が関与したとされている。
元亀年間(1570~73年)湖北の浅井氏か越前の朝倉氏による改修の跡が認められる。
その後は織田信長の陣所となった事もある。