城ヶ森城 (じょうがもりじょう) (ジンガモリ城・日振島城)
所在地 愛媛県宇和島市日振島明海 2021.3.7
城ヶ森城 (じょうがもりじょう) (ジンガモリ城・日振島城)
所在地 愛媛県宇和島市日振島明海 2021.3.7
登城ルート
桟橋
ここから入る
主郭・藤原純友籠居之趾の碑
主郭
西側土塁
背後の堀切
海円寺の庄屋清家氏歴代の墓
城ヶ森城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【感想】 日振島中央部の西から東に伸びた標高78.5mの尾根に築かれている。
現在は純友公園となっており、東西約50mの細長い主郭と北東下段から構成され、北東斜面の竪堀や西側に崩れた石塁があり、背後に堀切がよく残っている。
西側尾根を歩くと浅い堀切がもう1条あり、その間が2郭とも思われる。
待合所で切符売りの古老との話の中で、少子化で明海地区の小学生は全校でわずか8人だそうだ。また、海円寺の五輪塔はこの地に勢力のあった庄屋で清家氏のものだと教えて頂いた。
【案内】 宇和島新内港駅(宇和島市弁天町1丁目318ー16)から日振島明海(あこ)港まで定期戦が毎日3便運航されている。盛運汽船のホームページに時刻表や料金表が掲載されている(TEL0895-22-4500)。
宇和島新内港駅北の道の駅に駐車できる[マップコード176 187 220*27]。もしくは新内港駅の有料駐車場も利用できる(300円位で窓口に申し出)
今回は宇和島11.30分発の高速艇「しおかぜ」を利用した(料金は片道2080円)。日振島明海港に12.21分到着した。帰路は16.21分発で、切符を待合所で購入する。4時間近くあるので時間を持て余すようだ。
桟橋から南に行くと消防団詰所がありそこを右折し民家の間の細い道を西に行く。「純友公園」の標識や純友も使ったという「美なかわの井戸」があり、そこから幅1m位のコンクリートの道が続いている。
東端に「藤原純友籠居之趾」の立派な石碑が建てられ、西に細長い平坦地が伸びており、西端に土塁がコの字形に残り、背後に堀切が残っている。
北東下段に平坦地があり、石塁やハの字形に伸びた竪堀がある。
海円寺には江戸時代の庄屋・清家氏歴代の五輪塔墓が7基ほど祀られている。
【歴史】 藤原純友は承平八年(936年)頃までには海賊の頭領となり、伊予(愛媛県)の日振島を根城として千艘以上の船を操って周辺の海域を荒らし、やがて瀬戸内海全域に勢力を伸ばした。
関東で平将門が乱を起こした頃とほぼ時を同じくして瀬戸内の海賊を率いて乱を起こし、藤原純友の勢力は畿内に進出、天慶二年(939年)には純友は部下・藤原文元に命じ、摂津国須岐駅において備前国・播磨国の介(備前介・藤原子高、播磨介・島田惟幹)を襲撃させ、これを捕らえた。
翌天慶三年(940年)二月に淡路国、八月には讃岐国の国府を、さらに十月には大宰府を襲撃し略奪を行った。
朝廷は純友追討のために追捕使長官・小野好古、次官・源経基、主典・藤原慶幸、大蔵春実による兵を差し向け、天慶四年(941年)五月に博多湾の戦いで、純友の船団は追捕使の軍により壊滅させられた。