安永城 (やすながじょう) (鶴翼城・安永麓) (市の史跡)
最寄地 宮崎県都城市庄内町12680 2019.3.6 5.5
安永城 (やすながじょう) (鶴翼城・安永麓) (市の史跡)
最寄地 宮崎県都城市庄内町12680 2019.3.6 5.5
説明板
北側入口・標柱・堀跡
堀跡(右本丸北の郭)
本丸北の郭
本丸
忠霊塔
安永城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 都城市庄内町の城跡公園となっており、かなりの部分は改変されている。北側の車道は堀跡と思われ、切り立った切岸がよく残っている。
【案内】 庄内小学校(表記番地)の西に駐車場が用意されている。又、北側道路から入った本丸に直接車で行くことが出来る[マップコード117 662 423*24]。
本丸は公園となり、忠霊塔や説明板が建てられている。
北側に空堀の道路を挟んで本丸北の郭がある。
昭和四十九年(1974年)5月1日、都城市の史跡に指定された。
【歴史】 北郷氏(都城島津家)の本城(都之城)の北西部を防衛する重要拠点として、応仁二年(1468年)北郷敏久が築いたとも云われる。
初代の地頭 (城将)には北郷氏5代持久の4男・信濃守辰久と伝えられる。
文禄四年(1595年)北郷氏が宮之城に移封され、替って伊集院忠棟(いじゅういんただむね)が都城領主となり、その支配下になった。 慶長四年(1599年)の庄内の乱後は、北郷氏の所領に戻った。
元和元年(1615年)の一国一城令で廃城となった。
その後安永郷を支配するため、南東麓に地頭仮屋が設置され、地頭の元に三役(年寄・興頭(くみがしら)・横目)を置いた。