東野山砦 (ひがしのやまとりで) 東野山城
最寄地 滋賀県長浜市余呉町中之郷777 2016.10.25
東野山砦 (ひがしのやまとりで) 東野山城
最寄地 滋賀県長浜市余呉町中之郷777 2016.10.25
登城ルート(緑線は車道)
林道東野中之郷線の橋
説明案内板
東の曲輪の土塁・空堀
東の曲輪・土塁と石碑
空堀・西の曲輪の土塁
西の曲輪
東野山砦跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高220m】
【感想】 城跡に関する標識が無く、半信半疑で登ってゆくと説明板が見え、その西に立派な砦跡があるではないか! 木が伐り払われていれば、北国街道(現国道365号線)が眼下に望めたことだろう。土塁と空堀がよく残っている。
【案内】 余呉小学校(表記番地)南に北陸自動車道をまたぐ橋があり、その東に獣除けフエンス扉がある[マップコード192 474 507*22]。
200mほど先の三叉路を右折、大きく曲がって悪路をゆっくり1.3km走ると、三叉路(地図)があり標識に従い左へ行く。
1㎞ほど行くとカーブミラーのカーブがあり、その先に峠となる林道左に東野山砦の説明案内板が建てられ、路肩に駐車できる[マップコード192 505 284*18]。
道路から土塁が見え、西に登ると空堀・土塁で囲まれた東曲輪があり、「東野山砦跡本陣」の石碑が建てられ、南に土塁で仕切られた虎口のある南曲輪がある。
標高402m入口からの比高約220mの佐祢山(実山)西にある山頂にある。西側に空堀・土塁で囲まれた西曲輪がある。
【歴史】 湖北に君臨した京極氏、浅井氏の配下にあった当地の豪族東野豊前守一族の居城であった。
天正十一年(1583年)の賤ヶ岳の合戦には、羽柴秀吉方で佐和山城主であった堀秀政がここに砦を築き、行市山に陣する柴田勝家方の佐久間盛政と対陣した。
堀秀政はここを拠点に柴田勝家の大軍を食い止め、北国街道を一兵たりとも南下させず秀吉大勝の因となった。現在の遺構は堀秀政が構築したものと思われる。