江美城 (えびじょう) (江尾城・江尾要害) (町の史跡)
最寄地 鳥取県日野郡江府町江尾475 2018.5.11
江美城 (えびじょう) (江尾城・江尾要害) (町の史跡)
最寄地 鳥取県日野郡江府町江尾475 2018.5.11
登城ルート
土橋
右側竪堀
本丸
櫓台・石垣
櫓台・石垣
江美城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 日野川に向かって伸びた台地に築かれた崖端城で、東西70m南北50mの広さがあり、東側に崩れているが櫓台の石垣が残っている。空堀は幅も広く深くよく残っている。
西の丸は西に一段下がった場所で、「江府町歴史民俗資料館」が建てられている。
【案内】 国道482号線西側にある江府町役場(表記番地)駐車場が利用できる[マップコード252 103 568*88] 。
城跡へは南の、国道482号線のカーブする所から西へ登る道があり(地図) 、土橋に着く。
土橋の先に説明板が建てられ、本丸櫓台の石垣が残っている。土橋の北に空堀があり、観音像の建つ墓地となっている。
江府町の史跡に指定されている。
【歴史】 文明十六年(1484年)にこの地の国人・蜂塚安房守が築城し、2代三河守、3代丹波守、4代右衛門尉と4代にわたってこの地を治めた。
永禄七年(1564年)八月六日、尼子氏を攻略するため山陰へ侵攻してきた毛利氏により江尾城は攻略され、蜂塚氏は滅亡した。
その後、備中・美作方面に対する戦略的見地から、毛利氏により伯耆を与えられた吉川広家の下に近世城郭へと大幅な改造が行われた。