市成城 (いちなりじょう) (奥山城)
所在地 熊本県菊池市原 2018.5.4 12.9
市成城 (いちなりじょう) (奥山城)
所在地 熊本県菊池市原 2018.5.4 12.9
登城ルート
駐車場南東の入口
道標と木橋
主郭・道標
城址碑
東側の段郭
市成城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高80m】
【感想】 菊池渓谷とその支流に挟まれた標高671mの山頂に築かれている。2回目の挑戦であった。1回目は入口から下ってすぐ左へ行くべきところを、真っ直ぐ行ってしまった。
城跡には南北約20m東西約100mと細長い平坦地がある。東端に1mほど下がった段郭がある。
【案内】 菊池渓谷の県道45号線南側に菊池渓谷中央駐車場がある[マップコード618 308 512*07]。南東角の入口に案内板、説明板、城跡碑が建てられている。入口から菊池渓谷へ向かう遊歩道があり、下って約40m先から左へ草茫々の通路がある(標識もなくはっきりしないが)。
左に山を見ながら右の小尾根に登ると、1番目の道標がある。そこから谷筋を東に行くと、右側に城跡のある尾根が見え、道標の先に朽ちた橋がある。
そこから尾根に登り左にゆくと道標があり、登り詰めると城跡に着く。城跡の西側には城址碑が建てられている。東側に100mほど伸び段郭を経て谷へ落ちている。
【歴史】 『菊池風土記』によると、「在番年々替る、警護重き所深葉山の近所」とあり、豊後方面防衛の重要な城として、台城と同じく決まった城主を持たず交代制だったようである。
しかし、菊地一族の没落後は五代惣領経直の弟の子・経能を祖とする細永蔵人が居住した。
また『菊池風土記』によると、「この城は細永氏の不在中に焼き討ちされており、その際細永氏は近くの原村に移り住み、それ以来居住する者がいない」とあり、菊地一族の支配力が弱まると使われなくなったという。