丁城 (よぼろじょう) (要路城・用路城・都賀西城)
最寄地 島根県邑智郡美郷町都賀西450−1 2021.6.10
丁城 (よぼろじょう) (要路城・用路城・都賀西城)
最寄地 島根県邑智郡美郷町都賀西450−1 2021.6.10
登城ルート
ここを入り、50m先の崖を登る
南の堀切
南尾根の郭
3条目の堀切(右が南の郭)
南の郭
主郭
丁城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高140m】
【感想】 江の川左岸の標高243mの山頂に築かれており、主郭の南北両側に2つの曲輪が配置されている。
南尾根に3条、北西尾根に1条の堀切が見られた。行ってはいないが、南の郭の南東にも遺構があると思われる。
【案内】 国道375号線より「都賀大橋」を渡って、江の川西岸堤防道路を北に行き表記番地先に墓地がある[マップコード430 136 378*71](地図)。整備された道はなく、墓地向かいの谷に入り100m程先から右に折り返すように隈笹の生えた斜面をよじ登り、尾根南端に着く。
尾根を北上すると、3条の堀切があり、南の郭に着く。その上に小郭を挟んで主郭がある。
主郭の北に平坦地があり、南西の尾根を下って行くと堀切がある。
【歴史】 南北朝時代に、佐波氏によって築かれたと言われている。他に築城者として小笠原氏、高橋氏、毛利氏などの説がある。
戦国時代には、毛利氏と尼子氏の攻防の舞台であった。永禄元年(1558年)毛利元就は、別当城で温湯城城主・小笠原長雄を破り、小笠原長雄は温湯城に退却した。
翌年、温湯城を攻め、小笠原長雄が毛利軍に降伏した後、毛利の重臣口羽通良が丁城主となり、毛利氏の出雲侵攻の軍事拠点となった。