荒平山城 (あらひらやまじょう)
所在地 岡山県総社市秦2795−1 2022.5.4
荒平山城 (あらひらやまじょう)
所在地 岡山県総社市秦2795−1 2022.5.4
登城ルート(緑線は車道)
登り口・石畳神社
一の壇・三角点
二の壇(本丸)
西側斜面の井戸
三の壇(二の丸)
四の壇
六の壇
荒平山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高160m】
【感想】 高梁川右岸の標高190.7mの城山に築かれている。
北東から南西に伸びる尾根上に7つの曲輪から構成されており、主郭の西斜面に石組井戸、西側に堀切がよく残っている。
【案内】 県道278号線の信号交差点より北に行った堤防道路の通行止めのガードレール前に駐車できる[マップコード111 716 777*87]。
表記番地北の堤防道路終点にある石畳神社から遊歩道が設けられている(地図)。
【歴史】 永享年間(1429~41年)地元の豪族・川西(河西)氏により築かれたといわれる。
天正二年(1574年)毛利氏が三村氏にとって不倶戴天の敵である宇喜多直家と結んだため、三村元親は織田信長に通じ、毛利氏から離反した。そのため毛利氏と三村氏との間で戦いが起きた(備中兵乱)。
川西氏は備中松山城主・三村元親に味方したため、天正三年(1575年)毛利方の小早川隆景に攻められた。城兵は奮戦したが、城主川西之秀は城兵の助命を条件に降伏、開城し、之秀は讃岐由佐氏を頼って落ち延びた。