木塚城 (きづかじょう)
所在地 高知県高知市春野町西分3546 2018.3.7
木塚城 (きづかじょう)
所在地 高知県高知市春野町西分3546 2018.3.7
はるのの湯
駐車場横の説明板
測量図
はるのの湯
水槽と平坦地
木塚城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 南北両端の山頂の郭とその間の鞍部の郭の3つで構成されていたという。温泉施設敷地として削平され、建物が建ち遺構は消滅している。
【案内】 県道36号線と県道37号線の「長谷」交差点の南に天然温泉「はるのの湯」(表記番地)敷地となっている[マップコード181 629 469*84] 。駐車場横に説明板が建てられている。
施設建設に先立ち、春野町教育委員会で行われた発掘調査で、国内外の陶磁器類、木製品、石製品、金属製品などが出土し、年代は14世紀前半という事が判ったという。
【歴史】 14世紀前半の南北朝時代に築かれた。南朝方の中心であった大高坂山城(高知城)を意識して築かれた北朝方の城と考えられている。
戦国時代には、蓮池城主大平氏の支城となり木塚左衛門が城主となった。
天文九年(1540年)一条氏に攻められ、周辺の芳原城・諸木城・森山城と共に木塚城も一条氏に降った。
永禄三年(1560年)には長宗我部元親に攻められ、落城した。