天面山城 (てんめんざんじょう) (天連城)(あまつらじょう)
所在地 大分県大分市河原内高城 2019.5.6
天面山城 (てんめんざんじょう) (天連城)(あまつらじょう)
所在地 大分県大分市河原内高城 2019.5.6
登城ルート(緑線は車道)
セラピーロード入口
駐車場・説明板
横堀
主郭・三角点
北側横堀
北東の郭・井戸・休憩所
天面山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高350m(県道より)】
【感想】 標高403.1mの天面山にあり、東西に細長く築かれている。主郭の東側から南側にかけて横堀が残っている。
天面山森林公園として整備され、東側の郭には休憩所の横に井戸がある。南側は削り残した土塁が見られる。その東端から登山道がセラピーロード入口まで続いている。
【案内】 県道622号線より頂上東側駐車場まで舗装された「天面山森林セラピーロード」が設けられている[328 390 485*66](地図)。
尾根のT字路を右折、次を大きく右折、頂上手前を大きく右折して約3km登ると駐車場に着き、説明板が建てられている[マップコード237 689 468*42]。
【歴史】 建久年間(1190~98年)頃、豊後の豪族・大神(おおが)氏の一族の阿南氏が居を構えていた。
建久七年(1196年)大友氏初代能直が関東より下向の後、400年間大友氏の支配するところとなった。
天正十四年(1586年)九州の二大勢力であった大友氏と島津氏の覇権を争う豊薩合戦では、島津家久率いる軍勢は、国境にある朝日嶽城に迫った。
この城を守る大友氏の家臣・柴田遠江守紹安は代々の家臣帆足市弥太の忠告を無視し、勢いに翳りが見えた大友氏を裏切り島津方に寝返った。
翻意を疑う島津方によって腹心の武将と共に紹安を天面山城に、その妻子や一族は星河城に遠ざけた。
その後、島津勢は津賀牟礼城を攻め落とし、大友勢の守る戸次鶴賀城に迫った。
一方、宗麟の命を受けた佐伯太郎惟定は、星河城を攻め落とし、妻子・一族が自害させられた。
帆足市弥太の忠告を思い起こし、紹安は宗麟のために戦おうと決意したが、時すでに遅く察知した島津方の大軍にに包囲され、城を討って出たが、奮戦むなしく討ち死にした。