櫛渕城 (くしぶちじょう)
最寄地 徳島県小松島市櫛淵町北佃41 2017.9.21
櫛渕城 (くしぶちじょう)
最寄地 徳島県小松島市櫛淵町北佃41 2017.9.21
公民館横の案内図にある城址名
城跡入口
工場入口の石垣
工場敷地
乾の井
櫛渕城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高20m】
【感想】 櫛渕八幡神社の建つ山の、西の同程度の高さの小山が城跡であり、工場が建っている。遺構は残っていないという。
【案内】 県道28号線に面した櫛渕公民館(表記番地)横の櫛渕八幡神社に駐車できる[マップコード217 700 850*23]。
公民館横に案内図があり、その中に櫛渕城、乾の井が記されている。
西に100mほど行くと、坂道のある工場入口があり、登った所が城跡と思われ、古い石垣が見られた。
北西側道路脇に「乾の井」がありコンクリートの中に水が沸いていた[マップコード217 730 032*67]。
【歴史】 承久の乱(1221年)の後、新補地頭に補任された秋元氏により築城されたといわれる。
秋元盛貞の孫・秋元成公は櫛淵左近とも称し、十河存保に味方し長宗我部元親と敵対していた。
天正十年(1582年)中富川合戦で長宗我部元親軍と戦って討死した。
天正十三年(1585年)九月、蜂須賀家政が阿波国に入封されると、秋元氏はこれに従った。